<<うめきたの北端付近(→
map)です。JRの敷地内にこんなモニュメントが置かれています。
石碑と、貨物列車の車輪と線路ですね。
石碑のタイトルは「この地に梅田駅ありき」。
この地に梅田駅ありき
この地での鉄道貨物の取扱いは、大阪・神戸間に関西初の鉄道が完成した際に、大阪駅貨物取扱い所として明治7年(1874年)12月に開始された。その後、大阪駅は客貨の取扱いが著しく増加したため、貨物扱いを分離し、梅田駅として昭和3年(1928年)12月に営業を開始した。戦後になり、昭和47年(1972年)3月コンテナホームを増設、取扱い能力は年間450万トンに増強され、その後、今日まで大阪のメインの貨物駅として活躍してきた。昭和62年(1987年)の国鉄改革に伴い移転が決定され、この度、梅田駅は、その業務を吹田貨物ターミナル駅と百済貨物ターミナル駅に承継し、平成25年(2013年)3月31日をもって138年の永い歴史を閉じ、梅田信号場となった。
ここに、これまで、この地で、大阪の生活と産業を支えてきた梅田駅に心よりの感謝の気持ちを捧げる。
平成25年4月1日
西日本旅客鉄道株式会社
日本貨物鉄道株式会社
あまりにひっそりと置かれてあるので、最近まで存在に気づきませんでした。跡地再開発が完了した際に、しかるべき場所に設置されるよう作られたのでしょう(と期待!)。
グランフロントの枕木を使った天井(→
過去記事)もですが、こうやって貨物駅だった土地の記憶が残されるのは嬉しいことです。
ところで、梅田貨物駅跡の現在の解体状況はこんな感じです。
貨物駅のシンボルだったドーム大屋根はこれだけになってしまいました。
ギザギザ状のコンクリートは荷捌き場の名残りですね。
この地に梅田駅ありき。