今までの動きを振り返ってみる♪

梅田北ヤードの再開発は、通常のようにビルを建てた後に入居者を募るのではなく、まず入居者を決めてからビルを建てる開発業者を募集します。
はじめに「街全体のコンセプトを決める」、次に「コンセプトを実現できるテナントを募る」、最後に「街のイメージに合うオーナーを募る」という順ですね。
北ヤードをバラ売りにして各オーナーが好き勝手な開発をしてしまうと、結果 中途半端な街ができてしまう恐れがあるからです。

『未来開く研究・学問・観劇 梅田北ヤード跡中核どんな顔』 asahi.com
これまでの総まとめ的な記事ですね。
ナレッジ・キャピタルゾーンと呼ばれる先行開発地域の中心に関しては、昨年末に「コンセプトを実現できるテナント」は決まりました。だんだんと将来の姿が見えてきたような見えてないような‥‥?(笑)

梅田北ヤード アクティ27Fより

簡単に今までの動きを振り返ってみましょう♪ 長〜い19年間(笑)

1987年・国鉄民営化。国鉄清算事業団は赤字を解消するために梅田貨物駅の売却を決定。貨物駅を吹田操車場へ移転させる計画が発表される。

  ・「メディアシティ・フォーラム」などバブリーなw再開発計画が進む

1992年・旧大阪鉄道管理局が取り壊され更地に(現・ヨドバシカメラ敷地)

  ・バブル経済の崩壊、貨物の移転予定先での反対運動etc.‥‥
  ・再開発計画は宙に浮いた状態になる。

1994年・鉄道管理局跡地にゴルフドームが作られる。
1996年・ドームの解体、再び更地に。
1997年・旧大阪鉄道管理局跡地の入札。ヨドバシカメラが三越に競り勝つ。
1998〜1999年・吹田と百済への貨物駅移転の計画が具体化。
2001年・ヨドバシカメラ オープン。
2002年・「大阪駅北地区国際コンセプト」コンペ開催。
2003年・国際コンペ結果発表。大阪市が大阪駅北地区全体構想を公表。
2004年・大阪駅北地区まちづくり推進協議会設立。大阪市による大阪駅北地区基本計画公表。
2005年・先行開発区域の「ナレッジ・キャピタル構想」がされ募集が始まる。年末に入居候補者の発表。

ついでに今後の予定を。
2006年・先行開発地区の開発業者決定。
2007年度中?・着工
2011年春・先行開発地区、街開き。
20??年・貨物駅の完全移転。
20??年・北ヤード全体の街開き。


『梅田貨物駅、吹田・摂津に移転合意へ』 asahi.com
『梅田北ヤード全面開発ゴー JRの貨物駅移転に合意』 産経関西
移転問題にもいろいろ動きがあるようです。

2/6追加:
『JR百済駅へ梅田貨物駅の機能を半分移転へ』 asahi.com
吹田に続いて百済のニュースです。これで貨物駅の移転先がすべて正式決定。

2/7追加:
『梅田貨物駅移転で関係5者合意、10日に協定調印』 日経ネット関西版
「鉄道建設・運輸施設整備支援機構とJR貨物、大阪府、吹田、摂津両市の関係5者が10日、建設着手の合意協定書に調印する。」だそうです。
梅田北ヤード再開発 > ・うめきた 〜2009 | 2006.02.05 Sun | 12:20 | コメント (11) | トラックバック (0)