堺筋と道修町の交差点
NHK「なにわの筋と通」スペシャル版をみました。夕方のニュース番組内で月1回あるコーナーの特別版です。
およそ400年前から大阪の街の中心地は南北の「筋」と東西の「通り」を中心に栄えてきました。現在は御堂筋や堺筋など「筋」が大きく広くなっていますが、道路が近代化する以前は「通り」がメインの通りだったそうです。東の大阪城からは情報が発信され、西の大阪港からは物流が流れて、城下町の「通り」は発展したそうな。
番組ではそれを今に伝える建物として、堺筋と道修町の交差点に位置するこの小西家住宅(旧小西儀助商店)が紹介されていました。
堺筋側には壁しかなく‥‥
店の入口は道修町通りにあります。なるほどね。
堺筋が拡幅される前は敷地西側にも建物があって、この母屋も間口3間分(約5.4m)削られたそうです。黒壁にはそんな歴史があるのね。
堺筋が栄え(御堂筋ができるまでは大阪の一番のメインストリートだった)三越百貨店や銀行の本店が登場し、戦時中には大阪空襲を受け(焼夷弾が小西の屋根を突き破って落ちてきたそうな)、ここ数年では三越が閉店し解体され‥‥現在は200mのタワーマンションが建設中です。
たかが100年の間に街並みは激変しているのですねえ。
[過去記事いろいろ]
『See You Again, 三越大阪店』 2005.05.01 三越百貨店がまだ健在だった頃
『北浜リノベーションブロック』 2007.04.12 基礎工事の頃
『The Kitahama(北浜タワー)』 2008.02.06
『週末に買った本 2冊』 2007.10.30 今日の記事は「大大阪モダン建築」を参考にさせていただきました
およそ400年前から大阪の街の中心地は南北の「筋」と東西の「通り」を中心に栄えてきました。現在は御堂筋や堺筋など「筋」が大きく広くなっていますが、道路が近代化する以前は「通り」がメインの通りだったそうです。東の大阪城からは情報が発信され、西の大阪港からは物流が流れて、城下町の「通り」は発展したそうな。
番組ではそれを今に伝える建物として、堺筋と道修町の交差点に位置するこの小西家住宅(旧小西儀助商店)が紹介されていました。
堺筋側には壁しかなく‥‥
店の入口は道修町通りにあります。なるほどね。
堺筋が拡幅される前は敷地西側にも建物があって、この母屋も間口3間分(約5.4m)削られたそうです。黒壁にはそんな歴史があるのね。
堺筋が栄え(御堂筋ができるまでは大阪の一番のメインストリートだった)三越百貨店や銀行の本店が登場し、戦時中には大阪空襲を受け(焼夷弾が小西の屋根を突き破って落ちてきたそうな)、ここ数年では三越が閉店し解体され‥‥現在は200mのタワーマンションが建設中です。
たかが100年の間に街並みは激変しているのですねえ。
[過去記事いろいろ]
『See You Again, 三越大阪店』 2005.05.01 三越百貨店がまだ健在だった頃
『北浜リノベーションブロック』 2007.04.12 基礎工事の頃
『The Kitahama(北浜タワー)』 2008.02.06
『週末に買った本 2冊』 2007.10.30 今日の記事は「大大阪モダン建築」を参考にさせていただきました