「復活の日まで」梅北道路
地下道は見事に埋められていました。
うーん。ちょいとショッキングな光景^^;
昔からここには「梅北道路」という道路があったそうです。
1928(昭和3)年に国鉄の貨物駅が作られた事にともない道路は廃止されたのですが、その代わりに誕生したのがこの地下道なのだそうで。
だがしかし。近い将来に貨物駅は移転し、地上には再び東西方向の道路が整備されます。梅北道路の復活ですね。
[ちなみに]
ヨドバシ北側の道路では、中央分離帯の緑地が撤去されて少しだけ変身中。
東方向へは幅40mに拡張される計画もあり。
北ヤードの先行開発地区。地下道のあった場所を覗いてみました。
鉄骨が組まれ、地下道は埋められていってます。
#何のための鉄骨なのかはわかりましぇ〜ん。
[関連過去記事]
『地下道にも歴史あり』2006.1.22
『トンネルの半分が地上化されるそうな』2006.7.5
『北ヤード−新御堂筋 の道路が拡張されるって計画』2006.7.10
Comments
地下道の壁があったので、その外側に矢板を打って、壁を外し、土砂で埋めるという手順の中で、矢板が崩れるのを防ぐためでしょう。
埋めるんだから壁ごと埋めてもいい・・・という時代はもう昔です。遺構として埋めておいてもいいのかもなぁ・・・そうなると、将来掘ったら壁が出てきた・・・ってのも困るし、変な空洞空間が出来ても困るし、均質な土で埋めるのが理想だということで、仮の鉄骨を組んで、土砂崩壊を防ぐんでしょう。土圧は大変大きいです。水圧もあったりするので、2m以上掘る時は何らかの対策をしておかないと「生き埋め」になると事故になります。
このスピードだと、2011年より前に東西・南北道路の半分は、開通しそうですね。というより、北口広場の工事が始まれば、北側道路は全面封鎖されそうなので、2008年くらいには開通してないと、自動車が芝田交差点・阪神前交差点に集中してエラいことになりそう...
それにしても開発の話が始まった頃には、雲をつかむような先の話だったのに、今ではもう目の前ですからね。
どんどん街が変わっていきますね^^;
これからも楽しみに拝見しています。
埋められちゃうと淋しい感じしますね〜。
あすかさまの鉄骨の説明、感心しました。
そうなんや〜って。f(^_^)
埋まっちゃったんですね・・・。寂しいです。
おぉ〜、あの地下道が壊されはじめてるのかぁ。。。なんとも寂しいなぁ、この地下道は建築の学生時代に課題で取り上げた思い出の地下道だったのになぁ。。。とは言え、たいしたレポートも提出できなかったのだが。ハハ
その当時、とある同僚の女性と帰りが一緒になることがあり、そのときは並んで帰ったものです。
このトンネルは、一人だとえらく長く感じるのですが、彼女と話していると、あっという間という不思議なトンネルでした。
考えてみれば、車や信号を気にすることなく、曲がり角もないので、話に集中できたからかもしれません。
彼女は阪急、僕はJR沿線でした。一緒にいるのは、トンネルの出口まで。一番上の写真の出口左横の階段を僕は上がって行き、彼女はスロープをまっすぐでした。
「お疲れ様でした。」と声を掛け合って別れた場所も埋まってしまいました。
あの彼女 どうしてるのかな。
(この文章には、一部フィクションが混ざっています。失礼しました^^)
≫あすかさん
今回は矢板という言葉を学習しました^^ 土砂崩壊を防ぐためのものなのですね。
そういえば(土砂の入れ替えをした際に)北ヤードのいたる所にこの矢板が打ち込まれていると思います。工事が始まるとすぐにまた掘り起こすのでその時の事も考えてあるのでしょうね。
地下新駅との絡みもあるでしょうし、北ヤードの地下がどうなっていくのかは大変興味がありますです。
≫skychestさん
僕は、北口広場って最後の最後に整備されると思うので、北ヤード内の道路が開通するのは案外あとになるんじゃないかなと思います。
何せ通行量の多い場所の再開発、大変そう^^
≫なまはげさん
実際に街並みが変わり出すと「いよいよなんだなー」と感じます。
なまはげさんのように大阪以外の方にも判るようにレポートさせていただきまっす。
≫(ハ)さん
建築の事はチンプンカンプンなので専門的な事を教えていただけるのは有り難いっす。
というかそれをアテにしている事もたまにあり^^;
≫yusukeさん
この1年ですでに梅田の街並みは激変しちゃってますね。
これからどうなるかワクワク&ドキドキですわ。
≫motti さん
おお。どんな課題なのか気になる!
≫ふぉーたさん
なーんだフィクション混じりなのかー。
しかしひょっとして‥‥‥話の途中までは全て実話で、その彼女とは今の奥さんの事だったりして???