昭和27年の梅田阪急ビル
きーぼーさんから、こんな写真データをいただきました。1952(昭和27)年の大阪駅前です。
きーぼーさんの御祖父さんが国鉄大阪駅ビルから撮影されたもので、当時の駅前ロータリー(現在フロートコートがあるあたり)と阪急百貨店の様子がよく解ります。大歩道橋もまだ無い時代ですね。
まず目につくのが屋上看板です。「新日本放送」とは現在の毎日放送の前身で、当時は阪急の屋上にラジオ放送のスタジオがあったそうです。
その他「阪急フードセンター」「SHRIRO - NEW YORK」等の看板が見えますね。フードセンターは百貨店の食品売場でしょうか。SHRIROはシュリロ貿易(現在のシュリロトレーディング)。ハッセルブラッド等カメラ関係の輸入会社です。(参考:e_fanさんの覚え帳)
その南‥‥、これは何でしょう。
遊園地?ラジオ局のアンテナ?
のち(昭和30年代)に百貨店が増築される場所には「阪急ホワイトストア」という商業施設があったようです。ネットを検索しても何も出てきません。きーぼーさん情報によると、昭和25年12月開設、昭和31年1月閉鎖との事です。
西宮球場の広告。この写真の1952年はナイター照明が設置された年だそうです。当時の阪急ブレーブスは暗黒時代でかなり低迷していたらしい。
当時の自動車はアジがありますね。バスは当然ボンネットタイプです。一番左のクルマがちょっと変なんですけど三輪なのかも??
「お花見は阪急?線」‥‥沿線?
「??日本??交通」‥‥文化日本‥‥? うーん。ちょっと判別不能だ。
最後に阪急ビル全体を見てみましょう。
一番右の黒っぽい(実際は濃い茶色)部分が一番初めの昭和4年、中央の明るめの壁面部分が昭和7年竣工の建物。そしてこの写真の数年後、阪急ホワイトストアのある場所も百貨店が増築されます。
その後昭和40年代に茶色の壁面タイルはクリーム色に貼り替えられるんですが、現在建設中の新ビルの壁面は「昭和初期竣工の茶色」をイメージしているんでしょうね。ええやんえやん♪
ほんま貴重な記録です。きーぼーさんありがとうございました。
[追記]
現在の様子。昭和27年時の建物部は建て替え中で、残っているのは昭和30年代の増築された部分のみとなっています。
当時のクルマ。
渋くてかっこいいけど‥‥車種まではよく判らん^^; まだ国産車は多く走っていない時代ですね。海外メーカーと提携した国産車が作られ始めた頃だと思います。
Comments
とても面白く拝見しました。
ちなみにきーぼーさんの御祖父さんが撮影された大阪駅はこんな感じです。
↓
http://blog-imgs-21.fc2.com/a/t/a/atamatote/3_006.jpg
「大阪市100年」の写真ですが、昭和25年頃です。
6枚目の写真に「十三」の文字が見えますね。神崎橋行きのバスの乗り場かな。
屋上のは何なんでしょうね。
この時代の大阪駅の記事を以前書いています。関心のある方はどうぞ。
「第3代大阪駅改造事業 後編」
http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-123.html
「きーぼーさんお祖父さん」って「の」が抜けてますよ(笑)掲載許可をくれた祖父に感謝。写真が正方形なのは二眼レフで撮影したためです。
掲載が難しいならこの場で。この写真を撮影した大阪駅の、昭和24年頃の屋上から阪急百貨店方向の写真です(写っているのは祖父の同僚)。
http://kiiboo.hp.infoseek.co.jp/hunyara/IMG_6105u.JPG
新日本放送のスタジオが出来る前なので昭和27年とはシルエットが違います。
こちらで現在残る第5期部分が増築中の、昭和32年頃の写真が見られます。
日本古写真倶楽部
http://blogs.yahoo.co.jp/dokidoki_puck/50681891.html
>新乃介さん
「十三」の後に「のりば」とあります。この写真のバス、阪急バスと大阪市交通局の資料を調べたんですが、同じ型のものは見つかりませんでした。
7月に二代目大阪駅についてコメントさせて頂きましたー
撮影時期を勘案すると本当によく写ってますね。
イメージにある「阪急梅田」の姿がこの頃すでに出来上がっていたとは!
眼福でございます。きーぼーさんゴリモンさんありがとうございます。
私のコメントも「の」が抜けてるのです。
ゴメンナサイ。
ゴリモンさんのをコピペしたもんで(笑)
「ニ代目大阪駅の移築」のコメントですよね。
覚えています。
その後、調べれていませんが…。
いつか!
http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-142.html
阪急とは直接関係ないですが、この頃は(1952年には既に閉鎖していたようですが)現在阪神百貨店の西側増築部が建ってる場所に、そごうの更正デポーなる仮店舗があったようです。心斎橋の店がGHQに接収され、PX(酒保)として利用されていたため、梅田や阿倍野、難波の地下道に仮設店舗を設けていたそうです。
JR高架下の食道街のところには2000年までそごう経営の食堂が残ってたそうですね。
この度はありがとうございました。なんとか現在の風景をお祖父様撮影のアングルに合わせたかったのですが‥‥結局断念です^^;
しかし古い写真はじっくり見ていくのは楽しいです。(といっても今回はきーぼーさんが調べてくださった事項がほとんどですが^^;)
きーぼーさん「の」お祖父さんは修正させていただきました。新之介さんのコメントも^^
「十三」「のりば」の前のバスはちょっと変わってますね。よく見ると屋根に付いているのは拡声器っぽくもありません?謎です。
≫新之介さん
新之介さんのところで話題になっている「2代目大阪駅の移築」は驚きです。
まさか大阪駅の石造建築が東京で蘇っていたとは。空襲で破壊されちゃったのは残念。
それにしても大阪駅南側の変遷は面白いですね。百貨店の形状や看板、大阪駅駅舎等々いろいろと変化しているので分析も楽しい♪
≫seemoさん
ほんま貴重な写真ですよね。
で。こうやって古い時代の写真を見たあとに建設中の阪急ビルを眺めるとワクワク感も倍増です。
40年ぶりに「茶褐色」が蘇る♪
≫月夜野さん
思うんですけど、新陳代謝を繰り返している「阪急梅田」は見る人の世代によって印象が全然違ってくるんじゃないかなあ。
面白いなあと思います。
≫奈良人さん
そごうの更正デポー?初めて知りました。
心斎橋がGHQに使われていたとは‥‥この時代、まだまだ“戦後”だったんですね。
新梅田食堂街にそごう経営の食堂があったのは何かで聞いた事があります。どの場所だろ。
需要あるか分かりませんが、主に阪急百貨店25年史を元に色々補足してみます。
阪急ホワイトストアの後ろに見える屋根は移設前の梅田駅ホームですね。
シュリロ売場は昭和24年11月開設。当初はドル貨販売で、ドル軍票を使用する米軍人とその家族、法的に交換預金円口座を持つ外国人のみが対象で、27年1月に円貨販売が解禁されやっと一般に開放されました。英字の看板は外国人向けだった名残のようです。昭和29年12月閉鎖。
地階食品売場が阪急フードセンターと命名されたのは昭和25年10月。この看板は27年秋には「全店5時半まで営業」に取り替え。
新日本放送の放送所は昭和25年8月竣工、26年9月1日放送開始。移転の時期は資料不足で分かりませんが、昭和39年の写真では見た目にはアンテナなど設備がそのまま残っています。
「花見は阪急?線」の下に微かに見える「大」の字は大阪銀行。大阪銀行は住友銀行が昭和23年に改名したもので、昭和27年12月にはまた住友銀行に戻りました。昭和30年代までの写真で同じ位置に住友銀行があるのが確認出来ます。
阪急百貨店の大看板は、この昭和27年の秋には青地で社章付きの、解体前まで見られたものに替わります。
>新之介さん
あれは小さい字だったので本当に偶然の発見でした。期待しております(^_^)
>奈良人さん
情報はそこからです。後に食堂に改装した模様。50年史では名前しか出ませんでした。
写真に写っているボンネットバスは、バスではなく「宣伝カー」と言われる動くショールーム(?)的な車両だと思います。写真からは何の商品の宣伝カーかわかりませんが・・・。テレビコマーシャルが普及していない時代に、それなりに効果的な宣伝手段であったようです。
「宣伝カー 昭和」とかで検索すると、いくつか同種の車両を紹介したサイトがあるようです。
≫きーぼーさん
御祖父さんには感謝です。当時の何気ない日常風景でもこうやって見返すととても貴重な記録ですよね。
‥‥と感じると同時に、旧阪急ビルの取り壊しが改めて残念で悔やまれます。
新日本放送が阪急屋上からいつどこへ移転したのかはわかりませんが、千里丘のスタジオが昭和35年に完成したそうなのでそのタイミングかも。
住友銀行が大阪銀行という名称だった時期があったとは知りませんでした。戦後の財閥解体の流れの上での改名だったようですね。大阪銀行といえば合併して近畿大阪銀行になった地方銀行の方が印象強いのですが、「大阪銀行」ってとてもいい行名だと思うんでいつの時代か復活してほしいなあ。
阪急ホワイトストアの向こうの屋根はそういえば阪急梅田駅のホームですね。全く気付いていませんでした。当時の人にしてみりゃ何気ない当たり前の事なのに^^;
≫お!さん
うおお、宣伝カーですか。拡声器の謎が解けました。
検索先を見てみましたが、当時は「宣伝カー」全盛期だったようですね。会社や商品の専用タイプと、このような汎用タイプがあったようで。
その後テレビCMが普及したしネットやらいろんな場所に広告手段が増えたのに、ここ最近はまたラッピング広告のクルマも増えている。現代は広告で溢れていますね^^
家族が撮ってた写真ってどんどん貴重化・稀少化してますね。
しかし、僕もクルマの格好良さにはかなり参りました。
特にそれが一杯あるところが!
千里丘の社屋完成が昭和36年7月。阪急屋上に残っていた演奏所(ラジオ部門)が千里丘に移転したのは昭和36年8月だそうです。
新日本放送が毎日放送に改名したのは昭和33年のようですが、毎日放送の看板が出ている阪急百貨店の写真は見た事が無い気がします。ちなみに新日本放送の看板は昭和28〜29年頃に一度新調されてるようです。
>m-louisさん
他人の家の古いアルバムをのぞく事も中々叶いませんしね。クラシックカーがずらずら並んでるのは確かに壮観です。
ごく最近その写真を見たのですが、どこで見たのか思い出せません。
http://norimi.blog45.fc2.com/blog-entry-71.html
阪急百貨店 誕生祭 デジタルパンフレットのP7に載っています。
http://www.hankyu-dept.co.jp/honten/tanjousai/item.html
限定2008枚だそうです♪
早速買いに行かねば…。
http://norimi.blog45.fc2.com/blog-entry-309.html
色違い2種類出ています。写真をブログに載せました。
全柄ゲットとはさすが!(まあ例のミニチュアまで買っちゃう阪急ファンだから当然か^^)
僕もちょっと興味ありです。売り切れる前に現物を見てみよ。
(拡大してご覧ください)
1959.11.15撮影の大阪駅前
http://picasaweb.google.co.jp/PINBOKE/2008IPhoneMap1959#
http://picasaweb.google.co.jp/PINBOKE/2008IPhoneMap1959#5247619377655358818
梅田阪急ビルの昔の写真、拝見しました。
百貨店の屋上の放送局といえば、大阪ではかつて堺筋高麗橋にあった三越大阪店の屋上に日本放送協会=NHK=の大阪放送局があったのを聞いたことがありますし、地方でも百貨店の屋上に放送局があったという実例がいくつか存在してます。
ラジオ局だとそんなに場所を取らないし、建築基準法もさほどうるさくなかったし、それに百貨店の建物は当時としては高層の建物でかつ見晴らしもよかったからこのようになったのではないかと思います。
≫m-louisさん
家族が撮ってた写真って少なくは無いとは思います。大阪駅や阪急前は人が多く集まる場所だし。
だけどそれが発掘されず眠ったままになって貴重なものになっているんだろうなー。
皆さん、きーぼーさんのようにお祖父さんのおウチへ遊びにいきましょう♪
≫うろこさん
なるほど。「スタジオが昭和35年に完成」との記述を見つけたので勘違いしていました。
社屋完成&ラジオ局の移転は昭和36年なんですね。
フォローありがとうございます!
≫きーぼーさん
みんなで解析するといろんな事が見えてきますね。
当時のリアルな記憶もあったりなかったりで楽しいです。
‥‥とか考えていると、やはり梅田阪急ビルの存在は貴重なものだったなあ。
なくなってしまったのは本当に残念‥‥
≫e_fanさん
資料写真をありがとうございます。(ポインター&地図表示がお洒落すぎ^^)
1958年(昭和33年)の毎日放送への改称時に看板表記も「MBS」になったのでしょうね。
ところで昭和33年といえば‥‥
http://gorimon.com/blog/log/eid374.html
うーん。屋上看板までは写っていないっ
≫おくらとさん
なるほど、百貨店の屋上にラジオ局を作られた理由がわかってスッキリです♪
当時のラジオ放送がどんなものか判らないのですが、公開放送とかもあったのでしょうか。
百貨店といえば、人が集まり賑わいのある場所だったと思うのであったのでしょうね。
きーぼーさん提供の写真に感動してます。
さて、阪急ホワイトストア、震災前の三宮西口にもありました。
奈良人さんご指摘の25年史をどこかで見た気がして、のりみさんとこを探したら、写真がありました。
西口改札から2号線に抜ける通路の高架下商店街側に、店への
階段がありました。一度入っとけば良かったと後悔してます。
神戸阪急の地階がどんな場所だったかはわからないんですけど、現在のIKARIのある場所ですよね。そんなに広い場所ではないのですがこんなコーナーがあったのですね。
のりみさんの画像へ直リンしちゃお。
http://blog45.fc2.com/n/norimi/file/20060822170417.jpg
FC2ブログって他ブログから画像へ直リンク無理みたいなんですよー。
なんで記事へのリンクに貼り替えておきます(^^;)
http://norimi.blog45.fc2.com/blog-entry-71.html
ちなみに「阪急百貨店二十五年史」は比較的入手しやすい本だと思います。ネット検索したら4千円〜1万円くらいで売っています。
大阪古写真館
http://homepage2.nifty.com/saeki3/index.html
こちらHP作者さんのお祖父さんが撮影した写真を中心にまとめられていて、昭和初期、昭和11年、昭和27年11月(これとは外壁広告に違いあり)の3枚の梅田阪急ビルの写真を見る事が出来ます。
>e_fanさん
MBS看板の写真ありがとうございます。改名から移転までとすると、MBS看板は開局からの10年のうちの3年だけの存在だったんですね。
ゴリモンさんメール送りましたのでご確認のほどお願いします。
≫のりみさん
すみません、貼り替え恐縮です。
二十五年史は入手するまでは何ですが一度見てみたい本です。中之島へ行けば見れるんでしたっけ。
≫きーぼーさん
多くの人が馴染みのある場所の古今の写真って、自由に閲覧できた方がありがたいですよね。
阪急100周年の記念サイトはおっしゃるように書籍化してほしかったなー。一般から募集した写真の版権の処理とか作業はいろいろあるでしょうが‥‥今からでもOKですよ♪>阪急さん
宝塚のはぐれ課長と申します。
“ホワイトストアー”で検索してヒットしました。
私は幼年期、阪急神戸駅西口にあったホワイトストアーで毎年クリスマスにディナーを家族で食べに行ってました。
母親が伊勢えびを食べてる途中で下げられてしもてえらい怒ってたんを覚えてます。
実際は三宮の阪急ホワイトストアーの中のレストランやったんかもわかりません。
子供心にえらいフォーマルなレストランやったんを覚えてます。
シュリロって、もしかして阪急東ビルに10年くらい前までなかったですか?現在同社HPには東京の本社しか出ていませんですが・・・
今百貨店に行くと、その多くがが女性客で閉められていますがこの時代は、中高生が通学がてらに入ることも普通にあったのですか?
昔の百貨店はずいぶん早仕舞いだったらしですね。『6時に延長』とか・・・ということは勤め帰りのおっさんどもははじめから関係ない、ということだったのでしょうか