梅田の東宝系映画館が再編成
『老舗映画館、三番街シネマ9月30日閉館』 nikkansports.com
『梅田の2映画館、オーエスが撤退──TOHOシネマズに転換』 日経ネット関西
三番街シネマが9月末で閉館だそうです。→MAP
シネコン化されない映画館は閉館されていく時流なので致し方なし‥‥ですかねえ。思えば僕もここでの映画は何年も観ていません。ナビオのTOHOシネマズのサブ的な存在だったし、こちらでしか上映されていない映画も「DVDが出るまで待てばいいか」って感じで見送る事も多かったような。
そしてここは道路が拡幅される計画(参考:過去記事)がある場所でもあります。近い将来には解体されちゃうのかも。(屋上にあった百又ビルのサインも無地になっています)
このCGアニメ「レミーのおいしいレストラン」がシネマ1の最後の上映作品となるそうな。興味があった映画なので見納めをしようかな。
一方、こちらはHEPの裏通りにある「OS劇場」と「OS名画座」。→MAP
こちらは「TOHOシネマズ梅田 アネックス」として生まれ変わるそうです。HEPのTOHOシネマズの別館ですね。
『梅田の2映画館、オーエスが撤退──TOHOシネマズに転換』 日経ネット関西
三番街シネマが9月末で閉館だそうです。→MAP
シネコン化されない映画館は閉館されていく時流なので致し方なし‥‥ですかねえ。思えば僕もここでの映画は何年も観ていません。ナビオのTOHOシネマズのサブ的な存在だったし、こちらでしか上映されていない映画も「DVDが出るまで待てばいいか」って感じで見送る事も多かったような。
そしてここは道路が拡幅される計画(参考:過去記事)がある場所でもあります。近い将来には解体されちゃうのかも。(屋上にあった百又ビルのサインも無地になっています)
このCGアニメ「レミーのおいしいレストラン」がシネマ1の最後の上映作品となるそうな。興味があった映画なので見納めをしようかな。
一方、こちらはHEPの裏通りにある「OS劇場」と「OS名画座」。→MAP
こちらは「TOHOシネマズ梅田 アネックス」として生まれ変わるそうです。HEPのTOHOシネマズの別館ですね。
Comments
なんばと梅田、それぞれに再編が進んでいますね。東京も新宿で再編が始まりますし似たような状況になりつつあります。それが活性化につながればいいのですが、どうなりますか。
ナビオは北野時代に行きましたが風格ある大劇場でしたね。
近代でもないビルは、静かに解体され行くのみか???
シネコンは、大阪駅上に集約で良いではないですか?ナビオもイーマもありますし、東映会館・・・もうないか・・・
OS。オオバコですから、運営大変なのかもしれません。
からの映画館に行ったのは小学校の時ぐらいです。
レミーのおいしいレストランという映画ですが、今日、電車
に乗ったら車両の中の広告がこの映画のポスターで埋め
尽くされていました。
私は観る時間はあるかな、ヒットするとイイですね。
あの頃は人気映画になると朝から並んで夕方観るという感じでした。
梅田に映画館がほとんどなかった時代だったんで。
百叉って看板インパクトありましたね。
三番街シネマ何回か行ったことありますよ。
何階か忘れましたが、豪華な劇場があったと思います。
それと、ココの良いところは、
ナビオTOHOに比べてポップコーンが安い所です。(確かそうだった…)
≫月夜野さん
トラバありがとうございます。昨年にこんな記事を書かれていますね。
難波は南街会館のシネコン化に続いてパークス内にも新たにシネコンが誕生しました。商店街の小さな映画館、そして何より道頓堀にあった映画館が姿を消していくのは残念です。
梅田では今回の三番街シネマより東映会館が無くなった時の方が寂しかった、かな?ナビオはリニューアル後もロビーに風格がある(ような気がします)^^
≫あすかさん
あ、「百又」でなく「百叉」ですね。修正します^^;
静かに解体されていきますね。東映会館と三番街シネマに続くのはまさか松竹会館!? でも大阪駅北ビルのシネコンは12スクリーンもあるらしいけど松竹、東宝、東映の共同運営らしいので集約は無理かも?です。
道路拡幅の件は百叉もヤンマーも解体されると勝手に推測してます。近々記事にする予定っす。
≫キンキさん
レミーのおいしいレストランは予告編で見て以前から気になってました。
ちなみに「レミー」「おいしい」と聞いて僕は「平野レミ」を連想しちゃってたのですが、宣伝部長をされているようなので笑ってしまいました^^
≫優羅さん
やっぱり皆さんも“どうせ観るならシネコン”なのですね。
あの百叉の看板が無くなっているのは、少し前にアクティ大阪から見て気づきました。映画館も閉鎖だし建物が解体されるのも近いのでしょうかね。
≫匿名キ望さん
ポップコーンくらい安くしとかないとみんなナビオに行っちゃうのかな?^^
三番街シネマのスクリーンの記憶はありませんが、なぜか階段ははっきり憶えています。(入れ替え制の場合ゾロゾロと階段階段から帰される) 映画の感想を話し合いながら階段を下りたのは一度や二度じゃなかったと思います。
百又ビルの名前が消えている!
知りませんでした〜(^^;
あ 「百叉」だったんですね。。。(^^;
http://www.chishimatochi.com/history.htm
によると、百又 株式会社は
千島土地株式会社の関連会社ですが、
私の住んでいる甲東園は、この会社(芝川一族)の別荘だったということです。庶民には想像のつかない世界ですが、うちの子は一族の息子さんの同級生でした。(^^;
百又ビルは、百又†ではなく株式会社百又でした。
http://www.hyakumata.co.jp/gaiyou/gaiyou.htm
によりますと、叉ではなく、又のようです。
すいません、私の間違いです。
≫あすかさん
なんて判りやすくナイスな画像^^
≫6126さん
千島土地の関連会社はまた別の「百又」という
事ですね。ところで先週末に芝川ビルのビアアガーデンに参加してきたところです。
http://blog.goo.ne.jp/masakichi7/e/7e0313415111ade9e17fb6de14c80367
http://norimi.blog45.fc2.com/blog-entry-210.html
千島土地の社長様にもお会いしました。浴衣姿の似合うかっこいい方でした。
なので、百又は実家と同業のメリヤス屋との認識しかなかったので、甲東園や上ヶ原の話は驚きました。
兄に確認しょうと思いつつのびのびになっていますが、
>>メリヤス屋の グンゼ、アングル、百又、内外など・・・
と、いう記事がサイトにあったのでたぶんそうだと思います。
今週のY新聞の、橋爪紳也さんの《モダン大阪・商都の建築散歩 (9)》は、タイミングよく(ちょっとズレタかな。。)【芝川ビル(上)】でした。
「遥かインカの薫り」と題し、最近TVで見ている「失われたインカの都市」と芝川ビルの装飾が密接な関係にあることを、詳しく書いてあって、「奇怪」な表現を採り入れる感性も、往時は尖端との記事には二度びっくりでした。
芝川ビルの装飾は印象的ですよ。先日のビアガーデンの際に堪能させていただきました。
月曜晩のNHK「空から見たインカマヤ」は新聞のTV欄でチェックしていたのに見逃しました。うちもそろそろHDレコーダーが欲しいなあ。(あ、おかげさまで「トップランナー」は再放送で見れました)
明治村で移築復元中だった芝川邸が9/22から一般公開、という記事を9/8(土)の地方版で読みました。
竹中工務店の力で保存が実現したそうです。
ご近所だったので、いつか、明治村で見たいものです。
http://www.meijimura.com/news/new72.asp
http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000000709080004
最期に観に行ったのは「シャルウィィダンス」...ご冥福をお祈りします。
ありがとう!!!
≫6126 さん
明治村‥‥遠い^^;
ブログ仲間ののりみさんが早速行かれたようです。
http://norimi.blog45.fc2.com/blog-entry-229.html
≫織田パイソンさん
最後がシャルウィダンスですか、10年くらい前ですね。
僕のラスト三番街シネマもその頃かなあ。記憶に残る1本は特に無いのですが帰りに降りる階段が懐かしい。高校〜大学の頃はかなり降りたような‥‥
三番街シネマはその最後の日に歴代の名作映画を1回ずつ上映をしていました。なんとか観納めをしたかったのですが行けませんでした。(DVDがすぐに発売と聞いて「レミーの‥‥」も見るのをやめてしまった^^;)
これだけで名古屋には行けないので、大変ありがたいです。(^^)
ところで、私の会社の席は北向きですが、
〜3/31:窓から6m、視界良好(^o^)/でしたが、
4/1〜9/30:6m後退、見える範囲がだいぶ狭く(*_*)
10/1〜:3m前進。伊丹空港は座ったまま見えます。
この位置で南向きだと景色が全く見えないので、
多少の違いは我慢しなくてはなりません。
明治村って興味はあるのですが、僕もこれだけで名古屋には‥‥って感じです。
お仕事環境は僕からすると羨ましすぎます。文句を言わないで下さい♪(僕がその状況だと外ばかり見て仕事にならないかも^^;)
北々東の方角に煙があがってました。
スカイビルから太陽の塔の方向。
もし火事ならば、かなり大きい…などと考えてました。(^^;
梅田の百又は、千島土地の関連会社とは別物だと思います。
死んだ親父は梅田の百又の元社員で、子会社の丸百を任されていました。
百又の社長は江州(滋賀県)の出身で、同郷の者を社員として採っていたという話をよく聞かされたものです。
千島土地の沿革を見ても江州は無関係のようですし、百又の本業のメリヤスのメの字も出てきません。
また、百又株式会社設立が昭和24年というのも変です。
大正10年生まれの親父は尋常小学校を出てすぐに丁稚奉公で百又に入っているので、昭和24年では30才前になってしまい辻褄が合いません。
いろいろ調べると確実な資料が見つかりました。
http://muranishi.dyndns.org/ohmishonin.pdf
19ページ目に株式会社百又のことが載ってます。
社名の百又の由来は、社長の出身地が江州で、この地には俵藤太の百足退治の伝説があります。
そこからつけたということです。
なお社員会は百足会といいました。