大阪駅と大阪中央郵便局を結ぶ地下通路がまだ遺っているらしい
大阪駅と旧大阪中央郵便局の地下には、お互いを行き来する通路があるそうです。
旧郵便局は1939(昭和14)年竣工の建物です。その頃は郵便物も含め長距離の物流のほとんどを鉄道輸送が担っていた時代です。大阪駅と繋がる通路が設けられていました。しかしその後に大阪駅が建て替えられている事もあり「通路はもう残っていないんじゃない?」という話は聞いていました。
しかしなんと。昨日の関西テレビ「よ〜いドン!」で大阪駅を紹介するコーナーがあり、その地下通路でロケがされていたそうなのですよ。これは見たかった。残念!
特に見所があるわけでもない殺風景な通路で、郵便局側は厚い扉で閉じられているそうですが、それでもこれは気になります。TV番組とか新聞とかがもう一度取材してくれないかなあ‥‥ というか見学させてくれい^^
「大阪市100年」より →十三のいま昔を歩こう
「なにわ今昔」より →十三のいま昔を歩こう
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「なつかしき大阪」より →十三のいま昔を歩こう
「大阪市100年」より →十三のいま昔を歩こう
「大阪駅前の歴史(1) 戦前篇」
「第3代大阪駅改造事業 前編」
「第3代大阪駅改造事業 後編」 十三のいま昔を歩こう
あらためて新之介さんのブログで大阪駅周辺の変化を振り返ってみました。
古くから残っているのは旧大阪中央郵便局だけなんだよねえ。太平洋戦争に突入〜空襲で焼け野原になった大阪〜戦後の復興〜と、街の変化を見守ってきたわけで‥‥。
取り壊すにしろ、活用して残すにしろ、この建物をもう少し労ってあげてもいいんじゃないかあ。皆で「ご苦労様」と声を掛けてあげましょうよ。
取り壊すにしろ、活用して残すにしろ、この建物をもう少し労ってあげてもいいんじゃないかあ。皆で「ご苦労様」と声を掛けてあげましょうよ。
取り壊すにしろ、活用して残すにしろ、この建物をもう少し労ってあげてもいいんじゃないかあ。皆で「ご苦労様」と声を掛けてあげましょうよ。
大切な事だと思うので3回言いました^^;
Comments
そして中途半端でどっちつかずの保存はこの建物に対してかえって失礼だと思いますので、ここはスパッと頭を切り替えて、全く新しい梅田のランドマークとして、大阪駅前地区と西梅田地区をつなぐ賑わいの拠点として、一日も早く生まれ変わって私たちにトキメキを与えて下さい!!
ご苦労様!大阪中央郵便局!
よーいドン一昨日は見たんですが残念。
僕も声を大にして言います。
ご苦労様でした!!
建物単独ではなく、景観トータルで考える知恵を持って欲しいものです。
かつて郵便が鉄道で運ばれていた頃のものでしょうか。
当然いまは使われていないと聞きましたが。
地下通路でよく勘違いされているのが郵便局と大阪駅を東西に地下通路があると思われていること。 実際は南北に繋がっています。 郵便局東側壁面の壁から数えて4番目と6番目柱の間に北側方向に向かって12m幅の通路が斜めにあり(現梅三小路の串串、プロント地下あたり)ALBiの西側テナントのエーグル、ザ・ノースフェイス、コロンビア等のスキップフロアになっている所に幅4mくらいの地下通路があります。 大阪駅最西端に荷物用エレベーターがありますが、そこからが駅貨物取り扱い所(現マルニックス)と地下通路への連絡口です。 元々ごく浅い所にあったので梅三小路が無かったはるか昔、通路部分がなんとなくわかる感じでした。
大阪駅にある地下通路は3代目駅舎(現一部環状線橋脚地下街の一部)から現中央みどりの窓口事務所への通路です。切符の売上を駅まで回収する用途で使われていたようです。元々よく水没していたようですが、大阪駅ツアーの説明では改良工事で壊れされています。との記事をみかけますが、橋上駅柱と柱基礎は通路を避けているので修復されているか修復は可能と思われます。文献によって通路の大きさが違いますが寸法が記入されているものでは通路有効幅3.45m、通路床からコンコースまでの高さが2.5mと記載されています。 旧GARE側も小荷物取扱所だったので3代目駅舎からの分岐地下通路が桜橋口改札階段下辺りまであったようですがGARE開設時に閉められていると思います。郵便局を建直す場合ALBiの西側1階に自由通路が出来るので 配管スペースぐらいにしか使われないと思います。
東京中央郵便局では郵便局側通路を解体直前に建築系の学生などに公開していました。地下工事中の現場からも確認できましたがカメラがなかった...。 道路下通路部分は丸の内線建設時に煉瓦からコンクリートに造り変えられています。駅西側には確かに煉瓦地下通路があるのですが一般に云われている赤煉瓦地下通路は実際は地下ではなくほぼ1階になります。昔の乗客通路が地上2.5mぐらいにあり、その横にあったため地下通路と呼ばれています。 JPタワー前地下広場建設により連絡通路として、この煉瓦通路を壊して拡大するか、本当の地下通路をつくるのか東京都が検討中です。 東京駅北部通路、中央通路、南部通路と改築計画があって新幹線工事費を使って中央上下通路改築と北部上下通路の一部までで国鉄巨額赤字で中止されました。南部通路は現在構内地上通路だけで自由通路計画も規模が縮小されるようです。
大阪郵便局が建直しの場合阪神電車?が使用している機械室あたりを取り壊して西地下通路が拡大されるようですね。 数年前一般人向けの竹中工務店本店の建築家展で梅田周辺の地下詳細図の青焼製本図面が展示してありました。
街の生き証人、簡単に壊しては取り返しがつかない。
書き込み数が多い時、新しい書き込みを拝見するのが大変なので、
出来れば書き込み順で新しい、コメントから拝見できるような順序
にしてもらえれば有難いのですが。どうしても古いコメントから
のコメント順の場合、書き込み件数が多い場合見るのが大変なので。そのあたりよろしくお願いします。
聞いた話ですが地下通路には、郵袋を積んだ台車を牽引できる
バッテリーカーが居て、さらにそれが郵便庁舎からそれぞれの
ホームまで往来できる施設があったようです。
上下の移動はダムウエーター(荷物エレベーター)ですね。
鉄郵(鉄道郵便)全廃まで使われていたとの事ですから、
すくなくとも昭和60年頃までは、現役だったようです。