[2] 東の白ごはん、西の玄米ごはん

Comments


ゴリモン
2009/03/09 09:27 AM
(繰り返しになっちゃいますが)東も西も中央郵便局は今はもう、みんなでじっくり「お疲れさん」と見納めをしてあげるべき時期だと思います。

http://gorimon.com/blog/log/eid1067.html
次記事につづく^^
pinboke_planet
2009/03/09 12:25 PM
大阪中央郵便局を保存した場合の逸失収入が年間100億円なんて聞くと、みんなで定額給付金を寄付しあって・・・と、ノドまで出かかっていたダイビル保存パフォーマンスもビビッて引っ込んでしまいましたが・・・・・

本当に惜しいです!!
摂人
2009/03/09 12:44 PM
私もダイビル本館保存熱望派ですが、内装も含めてすべて保存しろなどというつもりはありません。

最低限、西側と南側の外壁とエントランス部分を残していただければ、中はどのように改造していただいてもいいと思っています。たとえばガラスの大屋根を付けてアトリウムにする。京都の新風館のように、保存した外壁の内側に店舗OR事務所スペースを残すか、新築し、アトリウムに向けて開いたテラス式の通路と階段で結ぶなど・。

歴史的建築物の有効利用部分の容積率を大阪市が積み増すといった奨励策をとれば、ダイビル側にも文句はないと思うのですが・・・・。
おくらと
2009/03/09 06:01 PM
こんばんは、
いわゆる東京中央郵便局庁舎改築における一連の騒動について私はフランク・ロイド・ライト氏設計のかつての帝国ホテル本館(昭和42年解体=但し、正面玄関部分は明治村にて移築保存)や、まもなく再建工事が竣工となる三菱一号館の初代建物(〜東九号館〜昭和43年解体)、そして言わずと知れた大正時代の代表的大建造物の丸ノ内ビルヂング(平成9年解体)等を思い起こさすことが出来ます。
とくに初代の三菱一号館は「明治建築の法隆寺」と云われる位に昭和30年代より「ゆくゆくは国の重文になるのでは?」というウワサが流れ、周辺の再開発がほゞ一段落した際にいよいよかという時に当時の文部省の文化財保護委員会が改築計画を知り、所有者の三菱地所さんに建物保存の可否を通告したそうです。
しかし、全体の老朽化が進んでること等により現地での保存は不可能と判断され、移築保存にしても壁の厚さの問題があり一部しか出来ないとのことにより泣く泣く解体工事に入ったけど、その際にさきの文化財保護委員会(のちの文化庁)は工事を中止するよう三菱地所さんにお願いしたがあっさり拒否されてしまったそうです。
けっきょく建物の扉、装飾、石材などの解体発生品はおよそ40年にわたり保管されてきたものゝ、再開発プロジェクトにおける三菱一号館復元再建工事に当たりこれらの発生品は旧建物にあったもとの場所に戻す形で活用されてます。
閑話休題、わが国において世界文化遺産に登録されてる歴史的建造物の多くも創建当初からのものは少なく、そのほとんどが戦乱及び各種災害などで失われたのを再建してる(そのさいに改変あり、とくに創建時及び鎌倉初期の再建時と比較すると予算の関係上建物の長さが短くなった江戸期に再建の現在の東大寺大仏殿の例がある)のが実情であるから永い目で見ると微々たるものであり、さきの東京中央郵便局庁舎の件に関しても完全に残してほしい気持ちは大いに理解できるけど、完全解体でもないし残すとこは残すのだから今回の件における政治的な横槍については私に言わせれば・・・だと思います。
長文になってしまいましたけど、この辺にて失礼いたします。

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