今までの動きを振り返ってみる♪

2006.02.05 Sun 12:20
ymd


梅田北ヤードの再開発は、通常のようにビルを建てた後に入居者を募るのではなく、まず入居者を決めてからビルを建てる開発業者を募集します。
はじめに「街全体のコンセプトを決める」、次に「コンセプトを実現できるテナントを募る」、最後に「街のイメージに合うオーナーを募る」という順ですね。
北ヤードをバラ売りにして各オーナーが好き勝手な開発をしてしまうと、結果 中途半端な街ができてしまう恐れがあるからです。

『未来開く研究・学問・観劇 梅田北ヤード跡中核どんな顔』 asahi.com
これまでの総まとめ的な記事ですね。
ナレッジ・キャピタルゾーンと呼ばれる先行開発地域の中心に関しては、昨年末に「コンセプトを実現できるテナント」は決まりました。だんだんと将来の姿が見えてきたような見えてないような‥‥?(笑)

image[梅田北ヤード アクティ27Fより]

簡単に今までの動きを振り返ってみましょう♪ 長〜い19年間(笑)

1987年・国鉄民営化。国鉄清算事業団は赤字を解消するために梅田貨物駅の売却を決定。貨物駅を吹田操車場へ移転させる計画が発表される。

  ・「メディアシティ・フォーラム」などバブリーなw再開発計画が進む

1992年・旧大阪鉄道管理局が取り壊され更地に(現・ヨドバシカメラ敷地)

  ・バブル経済の崩壊、貨物の移転予定先での反対運動etc.‥‥
  ・再開発計画は宙に浮いた状態になる。

1994年・鉄道管理局跡地にゴルフドームが作られる。
1996年・ドームの解体、再び更地に。
1997年・旧大阪鉄道管理局跡地の入札。ヨドバシカメラが三越に競り勝つ。
1998〜1999年・吹田と百済への貨物駅移転の計画が具体化。
2001年・ヨドバシカメラ オープン。
2002年・「大阪駅北地区国際コンセプト」コンペ開催。
2003年・国際コンペ結果発表。大阪市が大阪駅北地区全体構想を公表。
2004年・大阪駅北地区まちづくり推進協議会設立。大阪市による大阪駅北地区基本計画公表。

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