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梅田
2013/04/22 12:10 AM
哲学者・鷲田清一(4)…大阪でクジラに目覚める
http://www.yomiuri.co.jp/otona/people/sakaba/20130410-OYT8T00987.htm?cx_text=07&from=yoltop

「安うておいしい街」

 今回の酒都は東京でも京都でもない。哲学者の鷲田清一(63)が「とにかく安うて、おいしいねん」と絶賛する食の街・大阪。鷲田に連れられ、クジラ料理の店「むらさき」(大阪市西区江戸堀)にやってきた。

 今から十数年前、鷲田はここでクジラに目覚めたという。「クジラといえば給食のイメージしかなかったが、ここで違う食べ物だと思い知りました。『ああ、クジラってこういうもんなのかって』」

 大阪大学の教員として単身赴任生活を送っているとき、鷲田はこの店に何度も友人と来た。この日は約1年ぶりの訪問。店主の今川義雄(70)が「古希なのに、まだこきつかわれてますやん。1日立ちっぱなしで」と懐かしそうに鷲田に向き合った。

 「ほな、ちょっと説明させてもらいますわ」。今川は、クジラはあまり食べたことがないという記者に、たくさんの種類のクジラが印刷されたパネルを示しながら、調査捕鯨で捕ったクジラを仕入れていると説明。「ナガスクジラの舌はサエズリ、イワシクジラの皮はバンビの体の斑点模様に似ているので鹿の子いいます」

 鷲田も熱心に耳を傾けた。「何回“講義”受けても、覚えられへん。学生もそうなんやろうな〜」としみじみ。今川はすかさず「ほなテストせな、あかん」と一言。しばらくすると刺し身を運んできた。「おろしショウガで食べてくださいね」

異文化の街

 クジラの刺し身は口にするとやわらかく、じわっと脂が溶けだすが、意外にあっさりとしている。「私もクジラに目覚めました」と言うと、今川は「そない言うてもらうのが、一番うれしいんや」と笑顔を見せた。

 京都で生まれ育った鷲田は、28歳で関西大学の講師となった。その後、同大教授を経て大阪大学で教授、学長を務め、30年以上を大阪の大学で過ごす。京都と大阪は新幹線でわずか15分程度の距離だが、言葉も違えばファッションも違う。

 大阪に来て間もない頃、喫茶店に入った。席に座って待ったが、店の人は注文を取りに来ない。やっと来たと思ったら、「あんた、その眼鏡どこで買うたん」と一言。「はよう注文聞いてほしいのに、何聞いてくるんやって…。他人とのバリアが思いっきり低いんですよ、大阪は」


「大阪人はケチ」はウソ

 刺し身の次は、水菜と一緒に鯨肉を湯くぐりさせる「はりしゃぶ鍋」。「いかに簡単に火が通るかを見てもらうのに、パフォーマンスで『逆しゃぶ』いうのをやります」。店主の今川が水菜をくるんだ鯨肉を皿にのせ、カツオと昆布だしのスープをかけた。あっという間に鯨肉が躍り、おいしそうな色になった。

 「私の言うとおり入れてもらったら、アクも出ません。鍋奉行は要っても、アクをとる代官は要らないですよって」。今川の軽妙な大阪弁トークを聞きながら、やわらかな肉を食す。

 「大阪と京都は異文化ですから。昔から悪口ばかり言い合ってきたんですけど、実際に暮らしてみると、それまでに抱いていた大阪のイメージがドンドコと壊されてね…」

 満足そうにクジラを食べていた鷲田が「大阪の人がケチやがめついいうのは、大ウソですからね」と力を込めた。大阪の大学に勤めている間に、大阪人の気前の良さを何度も見聞きする機会があった。

 大阪城の天守閣や通天閣が市民の力で再建されたのは有名だが、歴史を調べると、公会堂や図書館、川にかかる橋の多くも市民の寄付による。鷲田が学長を務めた大阪大学も、すでに京都大があるとして国が設置に難色を示したが、財界や市民の後押しで開学した。

 大阪には寄付の文化が根付いている。鷲田は「理由は簡単、武士がおらん町やから」。関ヶ原の戦いの後、徳川幕府は豊臣の反乱を恐れ、大阪を天領にして武士を置かなかった。

 都市行政を担ったのは市民。「大阪の人は、無駄に高いモノは値切るけど、本当に必要なモノに使う金は惜しまない。そんなところに気づいてくると、居心地がよくなってくるんよ」。鷲田の表情がゆるんだ。

 (敬称略 動画・写真と文 メディア局編集部 小坂剛)

(2013年4月12日 読売新聞)

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