[2] 心斎橋から「そごう」が消える

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ぽり
2009/02/27 02:21 AM
 元々バブル期に今の南館裏の心斎橋側周辺店舗(大丸路面店)を数件買収出来た時に南館を建替える計画がありましたね。最近も建替え計画が噂されていまして、あのブロックはほぼ買収済みですので残りの地権者数名と、時間の問題だったようですが...。 これでまた計画は変わるようですね。

 大丸の建物について話題がつきないようですが、タツヤさんがおっしゃっているあの日経の記事は社内での希望的観測から漏れたものと聞いております。建替えてしまうとただの百貨店になってアイデンティティーが崩壊して商品力が落ちれば三流百貨店になってしまうから意地でもそれは出来ないとの話も聞きましたが...。 

 建物については戦災で焼夷弾が落ちまっくって5Fより上は全焼しています。なくなった床はデッキスラブがのせられたりしています。ただ火災を見越して戦時中に吹抜けをつぶしているので下の階は落ちた床の交換ですんでいるようです。

 戦後物資のない中、柱は当然補強されています。元々750mm角の細い柱でしたが、アングルでクロス状(線路でみる架線の鉄塔のような形状)に補強した上に四隅にそれぞれ300mm程度の鉄骨柱を建てて補強しています。建物の心斎橋側はこの様な補強がされています。

 ただ元々の構造自体は当時のニューヨークオフィス式の大梁にマットスラブというコンクリートパネルを載せたプレハブ式で同世代の建築のような小梁がなく、柱も垂直ダクトを入れるためコンジット埋め込みの空洞柱になっていますので地震のないNY式の建物なので不安要素はあります。

 柱が太くならないように送風容量は低く抑えられていますけど。補強された心斎橋側半分に比べ、御堂筋側半分はあまり手が加えられていないので廻りに炭素繊維を巻くか、鉄板を巻いてしまうかの補強が必要だとはおもいます。ダクトについてはあすかさんがに聞いてね。

 旧設備が躯体内部におさめられているため当時の最先端の設備が逆にあだになっています。
 他の百貨店は後から冷房をつけたりしているので設備が表に出ているので、見た目は不細工でも設備交換は容易です。

 同じ補強方法だった高島屋日本橋店は数年前にかなりのコストをかけて外壁内部にブレース補強と柱は、鉄板巻きと炭素繊維巻き、床コンクリート補強と、売場改装中にすこしづつ行いました。

 しかしせっかく補強した村野さん設計部分は取り壊して建替えるようですね。正面は文化財登録されたので更に工夫した補強で残すようですが...。

 あすかさんが旧三越大阪店は倒壊ではなくもたないので解体したととことですが、辞められた設備担当者の方の話では充分補強修理は可能だったとのことです。建築会社は補修でやる気満々、ただ設備維持費が全店中1番で金食い虫の店舗とされていて補強は新築並みに費用が掛かるので大鉄局に出店できるから今なら高く売れるからつぶすことになりました、とおっしゃっていました。 なので立て替え後は2年限定予定の仮設店舗だったのですが、入札出来ず長期使用となって閉鎖に追い込まれてしまったのです。地震で落ちかかった外壁を応援で社員で手分けしてロープで引っ張っていたあの頃がなつかしいです。
 建築諸元には鉄骨鉄筋コンクリートと書かれている文献もありましたが、本館堺筋側半分は外壁が煉瓦積石貼だったのでかなりの補強が必要だったでしょう。

 Slavaさんがおっしゃっていた件については今の天井の中に昔の天井がありその上に更にその上と
 3重4重にも天井があるところもあって1部を取ってしまうと上の天井を何層も取ってしまわなければならない場合があるからですね。

 4Fを例にすると一番低い天井で2150mm高い所で2750mmと3200mmの高さですが実際の天井の高さは約3744mmあり、階高で3944mです。その間に昔の天井が隠れています。天井全てめくってやり変えるとなると、昔の豪華な漆喰装飾をめくってアンカーボルトを打たないといけないので少し上に隠れている天井の構造+最小限に躯体にアンカーを打って極力本物の天井に傷をつけないようにしているので一見アバウトすぎる配線に見えると思います。

 昔大先輩が1F大改装の時何十年振りに天井をはぎ取った時、何層もあった天井から豪華な漆喰レリーフが出て来て急遽その天井を活かした内装に変えた事があるのですが、その後NYの設計チームにデザインで改修された時に無惨にもはぎ取られてしまって今は階段状の折れ天井になっています。(内部に一部残っていますが。) 今は店舗の差別化を図るのに商品で差がでないためにアイデンティティーを昔の設計意匠から引用する事が多くなっていて、この反省からしつこい位に、ヴォーリス風意匠の再現と称した内装を復活しつつありますが、当時の実務設計者の佐藤久勝氏が竣工前に急逝されたので、パターンはヴォーリス風ですが設計意図が継承されなかったために昔の内装を知っている人にはこういう解釈をしたの?と思う所も少々あるかな...。
 伊勢丹本店も2年くらい前の大改装の時に昔の設計図書をもとに気がつくかつかないくらいの所に建築意匠の引用を取り入れているのですが隠しシンボルが"孔雀"と葡萄のため
 とうとう取り入れられませんでした。大丸と同じ三菱系なので合併話もあったので実現していれば、改装意匠に入っていたかもしれませんね。

 大丸の店舗を残すには国は無理でも大阪府か大阪市が指定文化財にするしかないですね、
 大阪が行っている登録文化財制度では持ち主が自由に登録解除できるので登録文化財が次々と壊されています。東京のように指定文化財にすると改修や、復元費用を自治体が負担しなければならないので大阪は商業施設の文化財がありませんね。 日本橋三越は改装に併せた改修の時ほとんどが東京都の資金で復元したのに。(日本橋高島屋は大阪資本なので自力で一部復元した後、文化財指定になったので都のお金は使われていません。)

 福島区民さんが指摘されていた高さですが、発表されている資料上ではそごうは階高(旧B3Fが3050mm現地盤とピット)B2Fが4500mm、B1Fが6400mm1Fが6000mm、2Fから13Fまでが4900mmあり、大丸側はB3F、B2F、B1Fが3171mm、1Fが4850mm、2Fが3969mm、3F、4F、5Fが3944mm、6F4014.75mm7Fは御堂筋側3030mmと心斎橋側5151mmとなっていて、高さが近いのはそごうの4Fと大丸の5F。そごうの5Fと大丸の6Fそごうの7Fと大丸の屋上、そごうのB1Fと大丸B2Fとなります。南館の南側にあるJTBビルは実は南館と繋がっていますので、そごうと繋がるとかなり長い連絡通路になりますね。

 気になるのは景気後退で大丸本社1Fにあった大丸路面店Jクルーがレナウンとの契約切れで撤退後半年経っても埋まっていないし、今そごうの東側に入った旧香川県大阪事務所ビル跡を大丸路面店として工事中なのですが、不況で出店中止なんてことがないようにお願いしたいものです。そごうパーキングも1Fを路面店に改装するとかなんとか頑張ってほしいです。

 地下鉄心斎橋駅のスポンサーを大丸が降りたようでアナウンスが"次は大丸・そごう前"から"次はそごう前"に変わってから久しい。今後はただ"次は心斎橋”とアナウンスされるだけで、交差点名もそごうの名前がなくなるのでしょうね。 

 PS.そごうオープンの時はかなりの力の入れようで、ディスプレイはNYのデコレーションチーム(ゲイのお兄様方達)が大挙してやって来て日本人スタッフはあまり手伝いさせていただけなかったのを思い出します。

 柱装飾のビースの数や花のモチーフのバランスがどうしようかしら!って、喋ってばっかりで仕事遅っ!!と日本人スタッフのお姉様方がオープンに間に合わない!とお嘆きになっておられましたが、あれから一向にディスプレイも変わらず、鮮度が落ちていました。

 ただSWISSのシュレッピーマネキン(名鉄のナナちゃんを作ったメーカーです)を日本で初めて大量に使い、何十年か振りに日本でヒットさせた功績は大きいのです。(本格的にヒットとなったのは伊勢丹がウィンドウにいれてからですが。)

 今は業界No.1のロンドンのアデルマネキンよりもシュレッピーがあと1.2年はトレンドなので中国からの違法コピー品が街中にあふれてあきられるまではマネキンのトレンドを変えた店舗として業界では記憶に残るでしょう。

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