[2] 「朝顔」が咲く風景

Comments


ららら
2012/07/15 01:56 PM
大阪は水が命。大阪は水都。水、川は経済都市が育つ地形。
水路を埋めた事は間違い。大阪の自殺行為。
水路を生かす街つくりこそ大阪が躍進する鍵に思う。
たつや
2012/07/15 03:12 PM
上町台地は魅力的な住宅地として発展してほしいものです。
何せ、相撲で言うタニマチはあの谷町地区に住んでいた羽振り
の良い旦那衆を指す様ですから。
一戸立てもいいのですが、低層の集合住宅としても、緑豊かな
あの風情と調和できるのではと期待しております。
本町・船場をもう一度『大阪の中心地』にしよう
2012/07/15 03:45 PM
>船場の商家は大きく、ゆつたりして日本一美しい街と称されてい>たと橋爪節也の本に書いています。

 この大阪淀屋様が書かれた事は、私が上記に貼った記事の写真からも分かります。もう一度アドレスを貼ります。
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120311/20120311040.html

 またこの美しい船場の街に住む人たちが、非常に優雅で素晴らしい生活を過ごしていた事も事実です。もう一度アドレスを貼ります

船場料理の12ヶ月
http://www.kuidaore-osaka.com/jp/starting_point/senba/

 素晴らしい街に素晴らしい生活。そして日本経済の要でもあった船場。ある意味、船場とは理想的な街とも言えたのかもしれません。船場がかつてのまま残っていたら、間違いなく日本の伝統を残す街は大阪・船場であるとなっていたでしょう。
 
 しかし、大東亜戦争時の数次に渡る空襲で、美しい街並みも素晴らしい生活も、皆、灰燼に帰してしまった。
 地上で凄惨な戦闘が行われた沖縄や原爆の惨劇に見舞われた広島・長崎を除けば、あの戦争で日本国内で一番手酷い大打撃(死傷者とか全半壊家屋といった数字には表れない打撃・被害)を受けたのは、実は大阪ではないでしょうか。

 何しろ街の中心部・心臓部が壊滅してしまったのですから。

 空襲の被害で言えば、下町が壊滅した東京大空襲が全国的に知られていますが、山の手の被害は下町に比べればそれほどでもなく、東京の下町は東京の中心部・心臓部でありませんでした。

 あの戦争が終わって、今年で六十七年。
 実は、大阪・船場の本当の意味での復興は成っていないのではないか、と私は思っています。
 

[5] comment form
[7] << [9] >>


[Serene Bach 2.25R]