[2] 昭和27年の梅田阪急ビル

Comments


きーぼー
2008/09/14 02:35 AM
祖父本人にとっては職場から何気なく撮った日常風景だったはずで、こんな歴史資料になるとは思ってもいなかったでしょうね。

需要あるか分かりませんが、主に阪急百貨店25年史を元に色々補足してみます。
阪急ホワイトストアの後ろに見える屋根は移設前の梅田駅ホームですね。

シュリロ売場は昭和24年11月開設。当初はドル貨販売で、ドル軍票を使用する米軍人とその家族、法的に交換預金円口座を持つ外国人のみが対象で、27年1月に円貨販売が解禁されやっと一般に開放されました。英字の看板は外国人向けだった名残のようです。昭和29年12月閉鎖。

地階食品売場が阪急フードセンターと命名されたのは昭和25年10月。この看板は27年秋には「全店5時半まで営業」に取り替え。

新日本放送の放送所は昭和25年8月竣工、26年9月1日放送開始。移転の時期は資料不足で分かりませんが、昭和39年の写真では見た目にはアンテナなど設備がそのまま残っています。

「花見は阪急?線」の下に微かに見える「大」の字は大阪銀行。大阪銀行は住友銀行が昭和23年に改名したもので、昭和27年12月にはまた住友銀行に戻りました。昭和30年代までの写真で同じ位置に住友銀行があるのが確認出来ます。

阪急百貨店の大看板は、この昭和27年の秋には青地で社章付きの、解体前まで見られたものに替わります。

>新之介さん
あれは小さい字だったので本当に偶然の発見でした。期待しております(^_^)
>奈良人さん
情報はそこからです。後に食堂に改装した模様。50年史では名前しか出ませんでした。
お!
2008/09/14 10:57 AM
>>ゴリモンさん

写真に写っているボンネットバスは、バスではなく「宣伝カー」と言われる動くショールーム(?)的な車両だと思います。写真からは何の商品の宣伝カーかわかりませんが・・・。テレビコマーシャルが普及していない時代に、それなりに効果的な宣伝手段であったようです。

「宣伝カー 昭和」とかで検索すると、いくつか同種の車両を紹介したサイトがあるようです。
ゴリモン
2008/09/14 11:48 AM
どもどもです。

≫きーぼーさん
御祖父さんには感謝です。当時の何気ない日常風景でもこうやって見返すととても貴重な記録ですよね。
‥‥と感じると同時に、旧阪急ビルの取り壊しが改めて残念で悔やまれます。
新日本放送が阪急屋上からいつどこへ移転したのかはわかりませんが、千里丘のスタジオが昭和35年に完成したそうなのでそのタイミングかも。
住友銀行が大阪銀行という名称だった時期があったとは知りませんでした。戦後の財閥解体の流れの上での改名だったようですね。大阪銀行といえば合併して近畿大阪銀行になった地方銀行の方が印象強いのですが、「大阪銀行」ってとてもいい行名だと思うんでいつの時代か復活してほしいなあ。
阪急ホワイトストアの向こうの屋根はそういえば阪急梅田駅のホームですね。全く気付いていませんでした。当時の人にしてみりゃ何気ない当たり前の事なのに^^;

≫お!さん
うおお、宣伝カーですか。拡声器の謎が解けました。
検索先を見てみましたが、当時は「宣伝カー」全盛期だったようですね。会社や商品の専用タイプと、このような汎用タイプがあったようで。
その後テレビCMが普及したしネットやらいろんな場所に広告手段が増えたのに、ここ最近はまたラッピング広告のクルマも増えている。現代は広告で溢れていますね^^

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