[2] 新歌舞伎座が移転

Comments


あすか
2007/04/27 09:38 AM
上六にとっては良い話でしょう。
五十年とはいえ、近代の建築ですから、残すという話は出ないかと思います。フォルムは特徴的ですけれど、神社仏閣じゃないんですから。

跡地については、ショッピングはあふれ気味ですから、高層階は「レジデント」でお願いしたいと思います。

昨日、同業の人とお話してました。400戸、5000万円で200億円か・・・・建つなぁ。とかいう話です。立地を考えれば1億のマンションもありかなと思います。

路面については、フードマーケットとか、どうせなら芝居小屋コンプレックスとか(小芝居の小屋を20ほど)で200mの最上階はぜひ、和風宴会場で・・・・(無茶苦茶か?)
e_fan
2007/04/27 11:53 AM
[ALWAYS 1960年代の新歌舞伎座あたり]
>>この場所(そして裏通り)は超一等地ですよね・・・
そういえば、『ALWAYS 三丁目の夕日』の頃から5年後、ようやく一端のサラリーマンとなって、会社帰りに気の置けぬ同僚とチョット一杯は一日のしめくくりに欠かせぬ日課となりました。
永年大阪に住みながら、新歌舞伎座へは一度行ったきり。大阪球場・高島屋・南街会館と違いあまり縁がなかったけれど、新歌舞伎座の北側裏手あたり、歌舞伎横丁とかなんとか云う一杯飲み屋さんが沢山ある裏小路がありました。
3ヶ月くらいかかってやっと思い出した小料理屋というよりスタンドかな、10人も入れぬ小さな店は、その名も『花柳』。
女性二人のみでやっている家庭的な店、こんな店がキタよりミナミには結構あって、安サラリーマンが行ける、リーズナブルな値段でツケOKでした。看板のあと、黒門市場のうどん屋へ連れていってもらったり、いま思えばミナミの一等地だったんですね。
時々、お花かなにかのお稽古帰りに顔を出すママの一人娘が、当時は有名なA商事というネクタイの会社に就職が決まったと大喜びしていましたが、年齢的には父親は戦争の犠牲者だったのかも知れません。
同僚は、「スコット」というティッシュペーパーなどの会社の日本進出と同時に、そこへ転職したのでティシュペーパー元年のころの話です。
e_fan
2007/04/27 01:48 PM
[追記]
個人的には、ウチの村(町内)の神社も寺院もそうですが、鉄筋コンクリートのこういうデザインはあまり好きじゃないですね。(大阪城はまあ別格としても)
どこかの大阪城スタイルホテル?と似た印象です。
それより、なんばパークスのデザインは凄いですねー。
一期工事のころ、建築関係の知人に、「こういう図面(設計)を画く日本人がいたとは驚きやなー」と言うと、「基本設計は六本木ヒルズなんかと同じアメリカ人らしいで」と教えてもらいました。
オープンの日に、浜村淳氏をシネマコンプレックスに案内した、営業社員が帰り路がわからなくなったそうですが、とても興味がありますね。
よく考えてみたら、姫路城の全体など、日本人も四角いビルと違う図には画きにくい立体面?の感覚の優れた設計の達人もいたようです。

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