[2] 富国生命ビルも建て替え

Comments


あすか
2006/01/14 11:40 PM
建て替え自身は結構なことです。設備の老朽化もありましょうからセツビリニューアルよりも面する道路の幅から行って相当高層が建つのだと思いますから有利になるのでしょう。

富国生命、ビアガーデンあるんですね。マツザカヤもなくなり(京阪ではビアガーデンなしになりました)夏しか出来ないビアガーデンも遠ざけられるのでしょうか?

日本で最初のビアガーデンといわれるのが梅田のビアガーデンだそうですから・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%A2%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3
enethan_fan
2006/01/15 01:57 AM
[ALWAYS]
タイムスリップの市電には泣けます。1954年は中†、阪急百貨店屋上に初の民放=新日本放送(現MBS)開局、この年から8年間通学に市電(天六-阪急東口間)を利用。写真の市電は正に私の乗っていた電車です。記憶に間違いなければ、都島車庫前→港車庫前などでしたか阪急東口→大阪駅前は連続していましたが、ある年から交通渋滞の為、その間の運行を止め、上記停留所を各々終点にしたと思います。
1961年(S36)に肥後橋近くの企業に就職、天六-肥後橋間を利用しましたが、徐々に朝の渋滞で[写真]の箇所に電車が連なるようになりました。次第に乗客は阪急東口で一旦下車、徒歩で阪急のコンコースを通り抜け、大阪駅前で数台前の車両に乗換えていたと思います。
当時の会社帰りの楽しみは、夏はやはりビアガーデン、肥後橋から大阪駅前へ帰りは何故か徒歩、第1関門はサントリー本社、歩道にテレビドラマ『サンセット77』と同じテント?サンシェード?。ここを横目に突破しても、桜橋の交差点で信号が赤だと、当時の東海銀行ビルを見上げて即決。信号が青でも、結局は第一生命ビルへ。
冬は第2ビルあたりにあった、てっちりの『八幸』がお決まりのコース、いまはお初天神横に移転して高級ムード、一人前9500円からとかですが、当時はなんと一人前250円、お酒二級が50円ですから500円札一枚で毎日ホロ酔い気分、大阪に住む幸せを満喫したものです。もっとも、初任給は一万円そこそこでしたが…
そうそう、阪急横からトロリーバスも運行していましたので、確に電線だらけでしたね。
ゴリモン
2006/01/15 01:57 PM
どもどもです。

≫ちゃやまちさん
そうですね、御堂筋側からは迫力のある景観になりそう。
高層化はともかく、三角の敷地をうまく利用して洒落たデザインになってほしいなーと思います。

≫キンキさん
街は変化し続けていますね。
そして東梅田の次は大阪駅前ビル??

≫美ら海さん
はじめまして。コメントをありがとうございます。
地下街のお店は頻繁に変わっていたりするんで驚く時がありますよねー。
でも半年だったら大丈夫でしょー、たぶん(笑)

≫まっしゅさん
フォローをありがとうございます♪
耐用年数はまちまちなのですか。しかし30年というランクもあるとは。短い寿命ですねー。
「街の新化」っていい言葉ですね。いただいちゃいます♪

≫あすかさん
阪急の時同様、都市再生特区が適用されるんでしょうね。
高層のものが建つと、そのむこうのプロミスの看板がかわいそうだなーと余計な心配をしたりします(笑)

≫enethan_fanさん
茶屋町に続いての[ALWAYS]エピソードをありがとうございます。
「結局は第一生命ビルのビアガーデン」というのは、(上であすかさんが教えてくださった)日本初の屋上ビアガーデンなんですよね。こんな年表を見つけましたよ。
http://www.newtokyo.co.jp/ntb_company/com_5.htm
阪急横から運行していたトロリーバスがどんなものか気になります。

[5] comment form
[7] << [9] >>


[Serene Bach 2.25R]