[2] 茶屋町の高層展望台「凌雲閣」

Comments


コータ
2006/09/25 02:02 PM
いつも楽しく見させていただいてます。
以前阪急ビル見納めの時に参加させていただいたエビスの相方、コータです。

こんなところに碑があったのですね。完全に見逃してました。
それにしても奇抜で面白い建物ですね。39mで「凌雲」って・・・
そして下の記事には200mオーバーの高層ビルの話題!
100年前の梅田界隈は今とは全く違う風景だったのでしょうね。
興味深かったです。
ウメダ族
2006/09/25 04:51 PM
大阪にも凌雲閣ですか〜。
九階建てなんですね。
日本は地震と火事が多かったので、防災体制の整っていない昔にとって、高層建築は災害時を考えるとリスクの高い事業だったのかもしれませんね。さすがに誰も九階に住もうとは思わなかったんでしょうね。今はたくさんの方がそれより高いところに住んでいる時代ですけども。

この辺に遊園地があったんですか?
茶屋町て昭和初期まで村落か田園地帯だったと思っていました。

こういう時代のジオラマとか展示されてないんですかねえ。すごく興味あります。
東京にはそういう博物館がありますよね。
ショーケン
2006/09/25 06:47 PM
この頃の9階って現在の何mくらいの感覚だったんでしょうね。
当時真下を見下ろす機会なんてあんまり無かっただろうし
高所恐怖症で腰を抜かす人もきっと多かっただろうな〜と思います。

それはそうと「超高層ビルとパソコンの歴史」ご覧になられました?
管理人の@関西人さんがアクティ大阪から北ヤードの定点観測を始められましたね。
北からはゴリモンさん、南からは@関西人さん、と二大巨頭による北ヤード包囲網ですね。
あとはどなたかがスカイビルとグランドビルから定点観測されたら完璧なんだけどな〜^^
なまはげ
2006/09/25 09:19 PM
凌雲閣は浅草だけかと思っていたら茶屋町にもあったのですね〜、しかも大阪の方が先だったとは・・・恐れ入りました(汗)つくばエクスプレス浅草駅に大きな凌雲閣の壁画?があるのですが形的に大阪の方が好みかもしれません。100年あまりで日本の経済も建築物の高さも何倍にもなったのですね・・・その間の歴史はとてつもなく波乱でしたが。これから100年したら3000m級ビルが・・・ってことはないですよね(笑)

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